100年企業のブランドストーリー_ Vol,1 トミタモーターズ 会長 冨田英則氏

 ブランドストーリー研究所 代表 阿部敦史は、長寿企業の経営者にインタビューし、創業のストーリーから、その強さの秘密、そして未来のビジョンについてお話をうかがいます。
 第1回目は、埼玉県久喜市に本社をおく、株式会社トミタモータース・株式会社ホンダカーズ久喜の冨田英則会長にお話をお聞きしました。


そこには、広大な麦畑が広がっていた。
農耕には牛や馬が欠かせない、そんな風景の中に、一人の若者が立っていた。その若者こそが、トミタモータースの創業者、冨田英雄氏。わずか22歳にして、自らの人生を決めるためにこの地に立っていた。

物語の始まりは、1953年(昭和28年)に遡ります。英雄氏は日本大学理工学部でエンジンを学び、卒業したばかりでした。久しぶりに訪れた故郷、南埼玉郡久喜町(現在の埼玉県久喜市)で目にした光景が、彼の運命を大きく変えることになります。英雄氏は考えました。「この地で自らの旗を掲げ、エンジンを動力にした新しい時代を切り拓く方が、誰かに雇われるより、ずっと意義があるはずだ」と。

英則会長は父についてこう語っています。 

「実は、父には就職先が決まっていました。でも、どうしても自分で商売をやりたかったのでしょう。広大な農地で働く人々に、耕うん機や二輪車を提供し、壊れても自分が修理できる。故郷のために働くことに、大きなやりがいを感じたんだと思います」

戦後の復興が始まり、多くの人々が労働にも移動にも「エンジン」の力を必要とし始めた時代。昭和22年には旭産業株式会社(現・クボタ精機)が耕うん機の試作機を完成させ、昭和21年には本田技術研究所が原動機付自転車を世に送り出したばかりでした。

「これ以外に自分の道はない!」そう確信した若き英雄氏は、何もない場所から一歩ずつ、未来への道を切り拓いていったのです。

1961年(昭和36年)、彼は30歳で、祖母が所有していた麦畑を借り、株式会社トミタモータースを立ち上げました。事業は、農機事業部と自動車事業部に分かれ、故郷の生活を支える基盤となっていきました。

若き日の英雄氏の決意は、今も株式会社トミタモータースと株式会社ホンダカーズ久喜の原点として息づき、地域とともに生き続けているのです。

トミタモータースのホームページより

1961年(昭和36年)に創業した株式会社トミタモータースは、高度成長の波に乗り、一気に成長を遂げました。その歩みの中で、創業者の冨田英雄氏と二つ年下の弟は、兄弟で手を取り合い、共に歩んできました。兄弟経営が困難と言われる中、二人三脚で互いを支え、力を合わせて会社を築き上げました。その根底には、“一流の会社、一流の商品”という揺るぎない理念が息づいています。

冨田英則会長は、父の姿を振り返りながらこう語ります。 

「父の英雄は、昼間はトップセールスマンとして走り回り、夜は作業着を着てクルマの下に潜り込みました。いつも背中で語り、働く姿そのものが私たち社員への模範だったのです。その姿を見て、私も含め社員たちは自然と学び、成長し、一流の働き方とは何かを肌で感じてきました」

創業当初、トミタモータースの主力製品はクボタの農業機械でしたが、時代と共にホンダの自動車が主力となり、2006年にはホンダカーズとの契約を結びました。2012年には自動車事業を〈株式会社ホンダカーズ久喜〉として分社化しました。しかし、地元の人々には今もなお、“トミタモータースさん”として親しまれています。それはトミタモータースが地域に根ざし、愛され続けている証と言えます。

昨年、ホンダカーズ久喜店は南関東ブロックでホンダカーズアワードの“最優秀拠点賞”を受賞し、過去最高の売上を記録しました。しかし、冨田会長はその成功に甘んじることなく、オーナーとしての責任を強く感じています。

「今が良い、と安住していては未来の成長はありません。トミタブランドの存在意義をどのように未来に伝え、地域にさらに根付かせていくかが、次なる課題です」

どんな困難に直面しても、原点に立ち返り、トミタブランドが地域と共に歩み続けられるように。地域への愛と責任を胸に、これからも未来に向かって一歩ずつ進んでいく覚悟を会長から感じました。

トミタブランドの未来に目を向けてみましょう。冨田英則会長は語ります。 

「私たちは新たな可能性として、農業に注目しています。これからますます重要性が高まる『食』を支える〈農〉。クルマ以上に面白い未来が、そこにあるかもしれません。今はまだ内緒ですが(笑)、さまざまなビジョンを描いているんです」

「日本の農業をどう再生し、支えていくかー。トミタモータースにもその役割を担えると確信しています。ICT農業やドローンなど、新しい技術を活用することで、農業に革新をもたらし、未来の日本の農業に貢献できるはず。トミタモータースは特定のメーカーに縛られない自由な立場を活かし、『農』を新たな事業の柱に据えたいと考えています」

「この久喜エリアで、地域にどのように貢献できるかを常に念頭に置き、ホンダブランドの自動車事業と、クボタブランドを中心とした農機事業を継続しながら、『トミタブランド』として地域活性化に向けた多角的な事業を展開したいと考えています。クルマも『所有』から『使用』の時代へと移り変わる中で、地域のお客様のために私たちができることは無限に広がっています」

昨年、ホンダカーズの社長には社員出身の水谷氏が、トミタモータースの社長には桑波田氏がそれぞれ就任しました。しかし、冨田氏がオーナーであることに変わりはありません。そしていずれは、ご子息である良太氏(現久喜店店長、33歳)へと後継のバトンが渡されるでしょう。その時に向けて、トミタブランドの価値をさらに高めていくことが、今の冨田会長に課された使命です。

29年後の2053年、トミタモータースは創業100周年を迎えます。その記念式典で挨拶するのが夢だと語る冨田会長。「その時、私は90歳。トミタブランドが地域と共に成長し続ける姿を見られるように、これからも未来に向けて一歩ずつ進んでいきたいと思っています」

トミタモータースの原点には、創業者・英雄氏が「故郷の人々を過酷な農作業から解放したい」という想いがありました。地域に根ざし、貢献し続ける企業だからこそ語れるブランドストーリーが、今もなお息づいています。そしてその未来には、変わらぬ「農」への挑戦と、地域への想いが続いていくのです。

トミタモータースのストーリーは、これからも地域の人々と共に歩む企業として、新たな可能性を切り拓いていくでしょう。

トミタモータースのInstagramから

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