100年企業のブランドストーリー_ Vol,2 株式会中江 代表取締役 中江白志 氏

 “100年企業のブランドストーリー ”シリーズ 第2段は、今年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の舞台として激アツなスポット吉原の地で、創業120年の歴史を持つ馬肉料理店「桜なべ中江」の4代目店主、中江白志氏の登場です。


漆黒の夜空に響き渡る空襲警報の音。

昭和20年3月10日。両国、浅草を中心とする東京下町の上空に現れたのは、300機を超えるB29爆撃機の編隊。「ザーアッ、ザーアッ」無数の焼夷弾が雨のように降り注ぎ、街はあっという間に火の海と化した。逃げ惑う人々の阿鼻叫喚、崩れゆく建物の轟音…。それは、地獄の有り様だったという。

焦土と化した東京大空襲後の下町 (Public Domain)

翌朝、無数の建物が灰と化した焼け野原に、呆然と立ち尽くす男がいた。二代目祖太郎だ。目の前には、奇跡的に焼け残った「桜なべ中江」の店舗があった。静かに佇むその建物の姿は、幻想的ですらあった。

祖太郎は呟いた。「ま、まさか…、店が残ってる。しかもほぼ無傷で…、奇跡だ。ご先祖様が守ってくれたのか…、ありがたい。そうだ!店を再開しよう。それが俺の役目だ!」

祖太郎は拳を握りしめ、天を仰いだ。


中江:
運が良かったとしか言いようがありません。東京大空襲では、吉原やこの一帯は、ほぼ丸焼けになりました。でも、隣に落ちた焼夷弾がたまたま不発弾だったんです。そのおかげで、うちの周囲のほんのわずかなエリアだけが奇跡的に焼け残りました。隣の天ぷら屋さんも同じく焼け残ったんですが、もし油に火がついていたら大変なことになっていたでしょう。戦後になって、焼け残った2軒がともに国の登録有形文化財に指定されました。当時の建物が残っているというだけでも奇跡的なのに、こうして文化財として評価されるなんて、本当にありがたいことです。

阿部:
いまこうして築100年を超える建物で食事ができるのは、奇跡的なことなんですね。

中江:
はい、戦後の復興も決して簡単ではありませんでした。戦中、馬は軍馬として徴用されてしまい、馬肉が手に入らなかったんです。そのため、桜なべを提供できない時期が続きました。その間は、他の料理でなんとか凌ぎながら営業を続け、戦後ようやく馬肉が手に入るようになったタイミングで桜なべを再開しました。

東京大空襲でも残った築100年を迎える店舗
四代目店主 中江白志氏

阿部:
そもそも初代はどのように桜なべの店を始めたんですか?

中江:
初代の桾太郎(くんたろう)は新潟県名立(なだち)の出身で、若い頃に「東京で一旗揚げてやろう!」と思い立ったそうです。上野の黒門町にある日本料理屋で修行を積み、その後、花街として栄えていた、ここ吉原大門で桜なべの店を開きました。当時、桜なべはまだ珍しく、桾太郎はその独特な料理を武器にして店を構えたのです。その行動力とチャレンジ精神が、今日の「中江」の原点といえるでしょう。

阿部:
桾太郎さん、行動力ありますね!家訓は残ってるんですか?

中江:
いや、全然(笑)。みんな適当にやってましたよ(笑)。

阿部:
桜なべといえば「味噌だれ」じゃないですか。秘伝の味ですよね?

中江:
味噌だれは代々一子相伝で受け継いできました。うちの桜なべの特徴は、「割り下」と「味噌だれ」のダブルの味付けです。この独自の味付けが、お客様に愛され続ける理由の一つだと思っています。もちろん、創業当時から味そのものは守り続けていますが、時代とともに原材料の質が向上しているので、今では昔よりもさらに美味しくなっていると感じます。

阿部:
よく「伝統と革新のバランスが大事」と言われますよね。中江さんが守り続けているものって何でしょうか?

中江:
やはり、「馬肉料理の店」というブランドそのものですね。お客様に「馬肉を食べるなら中江!」と思い浮かべていただける存在であり続けることが、一番大事だと思っています。それが私たちの誇りであり、存在意義です。そのためには、日々の積み重ねが欠かせません。馬肉はもちろんのこと、他の食材も常により良いものを追求して、品質を磨き上げています。

さらに、奇跡的に残ったこの建物を大切に守っています。国の登録有形文化財に指定されているので、それだけでも「唯一無二」の価値があります。桜なべは東京発祥の郷土料理です。文化財である建物で、東京の郷土料理を楽しんでいただけるという、この特別な体験をお客様に提供することを、何よりも大事にしています。それが「中江」の伝統であり、未来への財産だと考えています。

戦前、店の前が土手だった頃の外観と、初代 桾太郎氏
吉原大門(明治初期)

阿部:
中江と吉原との関係は切り離せません。戦後も吉原は赤線としてすぐに復活しましたね。

中江:
はい、その中で馬肉は「元気をつける料理」として需要が高まっていきました。赤線で遊ぶには「精をつけなきゃ!」って必要性があったんでしょうね。だから、必死になって馬を探したんじゃないかと思いますよ。まさにプロダクトアウトじゃなくて、マーケットインの発想ですよね(笑)。

阿部:
実際、馬肉ってそんなにすごいんですか(笑)?

中江:
そういう目的で召し上がったことない(笑)?馬肉には本当に驚くべき特徴があります。まず、牛肉の半分以下のカロリーでありながら、高タンパクで鉄分が豊富です。血行が良くなり、体の回復力や瞬発力を高める効果があります。昔は「馬肉を食べると性病にならない」という俗説までありましたが、実際には免疫力が上がるからなのかもしれませんね。たとえば、コロナの時期もうちの家族は誰も感染しませんでした。

また、馬肉だけでなく、馬由来の素材も非常に役立ちます。例えば馬の脂は火傷の薬として使われたり、コラーゲンが豊富なので保湿クリームにも利用されています。馬というのは、食材としてだけでなく、多方面で「役に立つ」動物なんです。この素晴らしさをもっと多くの方に知っていただけたらと思っています。

阿部:
マーケットインの発想で、時代に合わせた変革をされてきたことが多いと思うのですが、どのような工夫をされてきたんですか?

中江:
いろいろと試行錯誤してきましたね。昔は馬肉料理といえば鍋だけでしたが、冷蔵技術が発達して生ものを扱えるようになり、馬刺しをメニューに加えることができました。これが馬肉料理の幅を広げる大きな転機になりました。そして、物流技術も進化したおかげで、遠方から新鮮な食材を仕入れられるようになり、新しいメニューを次々と生み出すことができたんです。

その中でも特に思い出深いのが「タロタロユッケ」の誕生です。あれは、芸術家の岡本太郎さんが考案したメニューなんですよ。

名物の桜なべ / HPより
タロタロユッケ / HPより

阿部:
「芸術は爆発だ!」の太郎さんですね!

中江:
太郎さんは当店の常連さんだったんですけど、ある日、「フランスでタルタルステーキを食べたら馬肉だった。おたくは馬肉の専門店なんだから、そういうのを作んなさい!」とおっしゃったんです。それがきっかけで、馬肉を使ったタルタル風ユッケが誕生しました。「タロタロ」というネーミングも、岡本太郎さんの名前に由来しています。

阿部:
なんて粋なエピソード!

中江:
こういった新しい挑戦ができたのも、技術や物流の発展のおかげです。そして、そうした挑戦が結果として当店の馬肉料理の専門性をさらに高め、多くのお客様に愛される理由の一つになっていると思います。

阿部:
まさに伝統と革新の絶妙なバランスですね。それだけの歴史を守りつつ、新たなことに挑戦し続けるのは大変だと思いますが、コロナ禍の影響も大きかったのではないですか?

中江:
客層がガラッと変わりました。コロナ前は接待や宴会がメインだったんですが、今は家族や友人といった少人数のグループが増えています。宴会コースよりも、少しずついろんな料理を楽しみたいという需要が強くなっています。インバウンドもすごく増えました。ハラールやコーシャ、ヴィーガンへの対応も必要になってきました。そこで「ヴィーガン桜鍋」を開発したんです。

原料は大豆で、プラントベースミート(代替肉)を使っています。NPO法人ベジプロジェクトジャパンのヴィーガン認証を取得しました。これならヴィーガンやベジタリアンの方、馬肉が苦手な方でも楽しめる。どこに出しても恥ずかしくない「ヴィーガン桜なべ」です!

阿部:
ヴィーガン桜なべ!まさに現代のニーズに応えた一品ですね。

中江:
例えば、家族や友人、グループでいらして、馬肉を食べたい人は馬肉を、食べられない人はヴィーガン桜なべを楽しんでもらえる。国の文化財の中で東京発祥の郷土料理を味わう、そんな時間を共有してもらえたら嬉しいですね。

阿部:
その思い出を持ち帰ってもらえるわけですね!

中江:
母国に帰った時に「日本でこんな楽しい体験ができた!」って話してもらえたら、日本への親近感が高まると思うんです。それで親日家が増えてくれればいいなと思ってやってます。

中江:
コロナ禍は大変でしたが、実はいい学びの時間でもありました。店を閉めたことで、普段できないことに取り組む時間ができたんです。

阿部:
具体的にはどんなことを?

中江:
子どもが跡を継ぐと言っていたので、一緒に肉切りの練習をしました。「お前が切った肉とお父さんが切った肉、どっちが美味しいか食べ比べてみよう」なんて(笑)。残っていたお酒で酒盛りもしました。今、大学4年生ですが、こんな時間を持てたのは良かったですね。

阿部:
なんて素敵な!

中江:
ええ、長男は小学生の時から「店は僕が継ぐ!」と言ってるんです。だから逆に私が追われている気分です。「早く出てって」と言われているような(笑)。

阿部:
卒業したらすぐにお店に?

中江:
そのつもりみたいです。本当は社会に出て揉まれた方がいいかなと思ったんですが、「どうせ継ぐんだから」と就活もしないんですよ。

阿部:
中江さんご自身は、継ぐことをどう考えていたんですか?

中江:
親父から「継げ」と言われたことは一度もありませんでした。普通に就職して、工作機械のメーカーで営業をやっていました。ところが、名古屋支店に転勤したとき、冬の繁忙期に親父から「戻ってきてくれ」と電話がかかってきて。それで23歳の時に戻ることになりました。

築100年になる有形文化財の店舗 / HPより
大正時代の菊正宗のポスター(菊正宗本社にも残っていないオリジナル)
谷文晁 作と伝わる「四季の馬」
武者小路実篤の詩
二代目祖太郎が描いた「牛負けて馬勝った」

阿部: 
社長になったのは?

中江:
24歳です。親父が「逃したくない」と思ったんでしょうね、すぐに代表にしてくれました。でも嬉しいどころか、「これで逃げられないな」と覚悟を決めましたよ(笑)。

阿部:
幼い頃から店を手伝っていたとか?

中江:
幼稚園に入る前からですね。箸を袋に詰めたりする簡単な仕事を遊び感覚でやっていました。冬の忙しい時期には親父の兄弟や奥さんたちも手伝いに来て、親戚の集まりみたいな感じでした(笑)。

阿部:
まさに家族経営ですね。弟さんも手伝っていたんですか?

中江:
いや、弟はあまり手伝いませんでした。今は別の仕事をしていますけど、肉を切るのは同じです。

阿部:
精肉店ですか?

中江:
いや、人の肉を切るんです。お医者さん(笑)。愛読書は『ブラックジャック』でした。僕は『のらくろ』派でしたけど(笑)。

阿部:
息子さんが自ら「継ぎたい」と言っているのはやはり、素晴らしいですね。

中江:
たぶん両親が孫をあやしながら、「お前は継ぐんだ」と耳元で洗脳していたんでしょう(笑)。

阿部: 
日本には100年、200年続く企業が世界一多いですが、それを誇りに思っている企業や個人は意外と少ない気がします。不祥事や問題が起きると、世間はそればかり取り上げがちですしね。一方で、欧米のファミリー企業は歴史を誇りにしていて、その結束やレジリエンスが強さの秘訣になっているように感じます。中江さんのお店が長く続いている秘訣は何でしょうか?

中江:
私の場合、「何かをしなければならない」っていうプレッシャーを感じていないんですよね。もちろん経営者としての責任は取りますが、あくまで自分の役割に徹して、あとは自由にやらせています。それに最近は、板場にも立たないようにしているんです。

阿部:
それはなぜですか?

中江:
板場に立つと、つい自分でやりたくなっちゃう。でもそれだと、若い人たちの成長の機会を奪ってしまうので。

阿部 
次世代に任せる環境を作っているんですね。

中江:
今、私が61歳で息子が23歳。あと4年、65歳で引退すると決めています。その間に子供がやりやすい環境を整えておきたいんです。

阿部
引退後は完全にお任せする形ですか?

中江:
ええ、完全に(笑)。代表権も返上して年金生活者になります。24歳から社長をやって40年。もう十分かなと。

阿部
潔いですね(笑)。そのスタンス、とても大事だと思います。伝統を守ることも大切ですが、厳しすぎると次世代が「継ぎたくない」と思うこともありますしね。

中江: 
そうなんです。信頼して任せるのが一番。子供がやりたいようにやるのが、長く続ける秘訣だと思いますよ。

阿部 
強いリーダーシップも必要ですが、後ろからサポートする形も素晴らしいですね。

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