1963年に、神戸市にて教育熱心な母と弁護士の父のもとで育つ。母の厳しい教育方針を受けて、中高と厳しい進学校で過ごす中で「もっと自由になりたい」「新たな世界を見に行きたい」
という憧れを強く胸に抱きながら、学生時代を送る。
東京での新生活を求めて、法政大学法学部政治学科に入学。中学時代からの愛読書だった「POPEYE」「宝島」に
影響を受け、クリエイティブ業界のきらきらとした世界に触れようと雑誌に掲載されていた店を渡り歩く中で
表参道の有名古着店「サンタモニカ」の店長と仲良くなりアルバイトを経験。そこから、芸能関係の繋がりが増えていきある著名な男性スタイリストに頼み込んで運転手兼衣装運びとして採用されるに至る。
20歳にもならないうちに、テレビ局の撮影現場やCMの収録現場を経験し、第一線のクリエイターやデザイナーと交流。トレンドの最先端で活躍している著名人たちと時間を過ごし普通の学生では触れることもない世界を体感する。
就職活動の時期になったものの、みんなが選ぶ「いいキャリア」には全く興味が持てず、せっかくならより多くの経験をしたいという思いから周囲の人の勧めで、ファッションショーなどの演出を手掛ける株式会社サル・インターナショナルに入職。当初はバイトとしての採用だったが、半年間タフな現場を耐え抜き正社員として登用されるに至る。
日本を代表するデザイナーによるパリコレなどファッションショーの演出に多数携わる中で当初憧れていた「大人向けアパレルブランドのクールな世界観」よりもそれこそ童話のようなストーリー性のある子ども服のファッションショーなどのほうが自分には向いていることに気づく。
20代後半になり、何か後に残るものをつくりたいという想いからスタイリスト時代から関心のあった映像の世界に転身。独学で知識や技術を身につけつつフリーランスディレクターとして映像制作を経験する中で世界的に有名な英国国立映画テレビ学校の学費や生活費を支給してもらえる奨学金留学生の募集広告を「POPEYE」で発見。思い切って応募してみたところ、激戦を勝ち抜き200名以上の応募者の中から選ばれる。
ストーリーこそが、
人の心を動かす。
最終課題で制作した大好きだった祖母との記憶を取り上げた短編ドキュメンタリーは留学後、同期の仲間たちにも好評を博す。英語が通じず孤独だったところから作品を称賛され、周りから握手を求められるという経験から自分にしか語れない「ストーリー」こそ、共感をつくるのだそして技術ではなく、ストーリーが人を動かすのだと気づく。
在学中に製作した短編作品「Seasons End」では山本周五郎の短編小説をもとにした日本人らしい世界観がヒットし学生映画祭だけではなく、ロンドン映画祭をはじめ多くの国際映画祭にて上映いただくことができた。映画学校を卒業後、ロンドンにとどまって自分の映画を作ろうと思うも、スポンサーが求めるような脚本が上手く書けず、悶々とした日々を過ごす。
6年に渡る苦悩の日々を経て、ある長編映画のメイキング映像の依頼を受けたことを機に、日本に帰国。知人のつてを辿っていく中で、企業の紹介ムービーなどこれまでには経験していなかった商業向けブランディング動画の企画・演出に携わるようになる。
英国で学んだ映画技術の基軸にあるドキュメンタリー。
その映像技術や知見が最も活かせるのはブランディング領域だとわかり、徐々に案件も増加。
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2004年、有限会社阿部事務所を設立し大手ITメーカーを中心に、CG一辺倒ではなくその技術や商品を通じて、どういう世界を実現したいのか?その先に、「人」がどんな喜びを得られるのか?徹底して「人」の演出にこだわることで、企業のブランド理念の映像化に置いて高い評価を得る。
2023年、有限会社ブランドストーリー研究所に社名変更し現在は、中小企業や団体・学校・地域産業の
ブランド・コンサルティング業務を中心に活動を展開。「物語が世界を変える」をコンセプトに唯一無二のブランドストーリーを伝えることにこだわっている。ブランド・コンサルティング業務を推進していく中で
歴史ある企業のアトツギ社長の苦悩と孤独に触れ彼らにこそ、ブランディングが必要だ!との思いから、
2024年には一般社団法人日本ファミリービジネスアドバイザー協会にて資格を取得。これからの人生をかけて老舗企業、同族企業のアトツギ社長のために理念策定からブランド戦略策定、社内への浸透を図り社外へのクリエイティブ・アウトプットの制作まで全社的なブランディングを伴走支援していくことを自らの使命に掲げている。